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東京家庭裁判所 昭和60年(家)2209号 審判

申立人 李毅

主文

申立人が次のとおり就籍することを許可する。

本籍 東京都千代田区○○×丁目×番地

氏名 酒田時雄

出生年月日 昭和19年以下不詳

父母の氏名 不詳

父母との続柄 男

理由

1  申立の趣旨及び実情

申立人は、昭和19年に日本人を父母として出生した日本人であるが無籍である。そこで、主文同旨の審判を求める。

2  当裁判所の判断

(1)  一件記録によると次の事実が認められる。

ア  申立人は、1945年、中国山東省畄博市で、李慶秀に拾われ以後、同人を義母として生育した。1945年当時申立人は、1歳に満たなかつたため、出生及びそれまでの生育について記憶がない。申立人が5歳のころ、養父李向仁は、李慶秀が日本人である申立人を拾つたということを理由に同女と離婚した。

イ  李慶秀は、1958年に死亡したが、その直前に、申立人及び申立人の叔父に当たる張文波に、申立人が日本人である旨話した。しかし、申立人が日本人であるとする理由は何ら話さなかつた。その外、李慶秀は親しい知人には、申立人が日本人である旨語つていたが、申立人が日本人であるとする理由については一切話さなかつた。

ウ  このようなことから、申立人は自己が日本人であることを意識して成長したが、申立人の近所や学校では、申立人が日本人である旨のうわさが広まり、それが原因となつていじめられたりした。

エ  1968年文化大革命が始まつた当時、大量の身元調査が行われたが、○○公安局は、申立人を抑留し、申立人が日本人孤児であることが判明したとしていた。

オ  申立人は、1967年10月李秋仁と婚姻し、2人の子をもうけた。

カ  申立人については、常住人口登記表の民族欄には、「漢」と記載されており、幼少時から中国人として育てられ、中国籍を有している。

キ  申立人は、我国に戸籍を有しない。

ク  申立人は昭和60年2月18日第7次訪日団の一員として来日し、いわゆる中国残留孤児として、日本において肉親探しを行つたが、肉親を発見することができなかつた。

(2)  以上の事実を前提にすると、申立人については、日本人父の嫡出子として出生したこと又は日本人母の子として出生したことが明白であるというには疑問が生じないわけではない。しかし、中華人民共和国及び日本国の双方が、申立人を中国残留日本人孤児として取り扱つていると考えられること及び上記全事実を総合すると、申立人については、少なくとも母は日本人であつたと推定し、出生により、日本国籍を取得したものと考えるのが相当である。申立人は、中国籍を有しているが、自らの意思で取得したものとは認められない上、その他一旦取得した日本国籍を喪失する事由が申立人に発生したとは認められない。したがつて、申立人については就籍を許可するのが相当である。

(3)  就籍すべき内容については次のとおり考えることができる。

ア  申立人に関し、戸籍に記載すべき事項のうち、記録上明らかなものは、生年月日が昭和19年であること及び父母との続柄が男であることのみである。

イ  その他の事項については、不詳であり、申立人の希望を尊重して定めるのが相当であるところ、申立人は、本籍については東京都千代田区○○×丁目×番地、氏名については酒田時雄とすることを希望している。

よつて、主文のとおり審判する。

(家事審判官 山名学)

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